アンドレア・ペルフェッティ “バイク旅行で人生が変わる?”
イタリアのジャーナリスト:アンドレア・ペルフェッティは、バイク、特にオフロードに情熱を注いでいます。彼は、歴史と美しい自然に恵まれたエチオピアでの遠征に挑みました。Demonerossoでは、アフリカでの経験、現地での旅の感動、そして発見について語っています。
この旅のレポートは、あなたの人生を変えるものではないかもしれませんが、自分や他の人のことをもっと考えるきっかけになるのではないかと思います。そして、排気量やブランドに関係なく、バイクのことがもっと好きになるでしょう。
エチオピアでは舗装路があまりないので、オフロード走行に興味をお持ちの方には、ご満足いただけるのではないでしょうか。
今回の冒険で、オートバイは豊かな自然に触れるための素晴らしい方法であり、何より現地の人々と触れ合うための最適な移動手段であることを再認識しました。
彼らは大きなバイクに乗ってきた外国人に対して寛大で、そして自分たちの長い地域の歴史に誇りを持っています。
「観光地」ではない場所で
エチオピアでのツーリングは、まず物流面の問題から始まります。バイクはDHLで現地に届ける、という訳にはいかないのです。
輸送用のコンテナにバイクを格納し、船でジブチまで送らなければなりません。この手続きと輸送だけでも、およそ数ヵ月がかかります。
出発の前日、バイクはアディスアベバにちょうど良いタイミングで届きました。エチオピアの首都は、他のアフリカの大都市と同じように、運転には細心の注意を払い、道路や交通に慣れるまで最低限の適応が必要です。
民兵に護衛され、イタリア大使は常に私のグループと電話で連絡を取りながら、慎重に移動します。未知の大都会にいるのですから。
大自然の中で
都市部を出ると、私たちが抱いていたすべての不安は吹き飛びました。数キロ進むと、大自然に囲まれた、アマラ地方の雄大な山々が現れます。
常に標高2,000メートル以上の高さを移動しているため、空気は薄いが、そこに住む人々やたくさんの動物たちとの出会いの中で次第に慣れていきました。
私のエンデューロ・バイクは、何の問題もなくセミエン山脈を登っていきます。標高4,000メートルを超えると、植物は少なくなり、キリスト教正統派の教徒達に出会いました。日没時には、ゲラダヒヒが水を飲むためにラバの道を横切って谷に向かうさまは、私たちに挨拶をしているようです。
その頃には、40℃の気温は10℃まで落ち、標高3,000mの山頂でテントを張って宿泊しました。さらに、旅はティグライ地方へと続きます。ワニが生息するナイルの源流であるテケゼ川を通過し、アクサム、アデュア方面に進路をとりました。
古代文化にゲストとして訪れて
ツーリングの道筋にレストランや屋台はなく、即席の小屋でラムや牛肉を、おいしいケーキやスパイシーなソースと一緒に食べました。エチオピアの人々のもてなしは、私たちの旅になくてはならないものでしたが、道中私たちを追いかけてハイタッチをしてくれる子供たちの笑顔は、他に代えがたいものでした。
彼らは、私たちが必要不可欠だと思い込んでいる物質的なものは持っていませんが、最も美しい贈り物をシンプルに与える方法を知っています。それは「幸せ」と「一緒にいたい」という気持ちです。
これは、個人主義社会で育ち、多くの不要なものに囲まれている私たち全員にとって、非常に深い教訓といえるものです。私たちは、ノートとペンをたくさんバイクに積んで、またこの場所に戻ってくることを楽しみにしています。
過酷な冒険の頼りになる相棒(ジャケット)
バイクは、このような山岳地帯の旅に最適なツールで、過酷な地形だけでなく、現地の人々との壁を取り払います。ただし、ツーリング時の装備は決して軽視してはいけません。
まず、平野部での暑さに耐えうる広範囲なメッシュ構造は欠かせません。それと同時に、早朝の寒さに耐えうる防寒も必要です。1日10時間もの走行では、外気温による体力の消耗は極力避けなければなりません。
エチオピアの医療の規模を考えると、しっかりとした装備を行い、体調に関わるリスクを少なくすることが重要です。
約3,000キロに及ぶ、埃と汗にまみれた旅を経て、D-Explorer 2は単なるジャケットから、心に残る冒険の相棒となり、まさに「体の一部」となりました。クローゼットを開けると、そこにはいつでもアフリカでの冒険そのものである、埃まみれのジャケットがあるのです。