バリー・シーンの秘密兵器。初のバイク用バックプロテクターの起源
Bazzaのニックネームで親しまれたバリー・シーンは、猛スピードで人生を駆け抜けたという点で、スティーブ・マックイーンやイギリス人ドライバーで友人でもあったジェームス・ハントに少し似ています。
勝利の数でファンの心を掴んだというよりは、ショーやクラッシュ、そしてその笑顔やショーマン特有の若干上から目線な態度が魅力でした。
既に20歳で世界選手権に出場していたものの、最適なクラスを見つけるまで少し時間がかかりました。1971年、スズキの125ccに乗った彼はとても速かったのですが、500ccでその才能を発揮します。1976年初タイトルを獲得しますが、それ以前から注目を集めていました。
何よりもまずバリーは、時に背筋が凍るような数多くの転倒で目立つ存在でした。常に立ち上がるそのパワーに誰もが驚愕しました。そして事故の後には毎回、同じセリフが待っていました。
"レースに戻るかって?そうしない理由なんてある?"
バリーの体にはライバルたちより多くのネジが入っていましたが、1975年にデイトナで飛ばされた時のような事故を乗り越えるのは至難の業でした。
そのため1970年代の終わりには、特に背中のプロテクションの強化の必要性を感じていました。当時のバイクは既に時速300キロに達しており、多くのライダーが車いすでの生活を余儀なくされていました。
リノ・ダイネーゼはバリーと協力して、この危険な状況の打開策の考案に乗り出しました。リノは科学とデザインを融合し、ロブスターの殻をイメージした初のバックプロテクターを生み出しました。それは、プロテクション効果がありながらも軽量で柔軟な構造を持つロブスターの殻を再現したものでした。
衝撃の威力を吸収し拡散するため、ソフトタイプのベースの上に複数のハードプレートが配置されていました。
イタリアのモルヴェーナにある研究所で開発されたこの秘密兵器は、 バリーに新しい安心感を与え、彼が1984年に引退するまでさらなる勝利、そして表彰台へと導きました。
他のライダーたちもすぐに真似をし、 バリーに続きました。幾度となく強打を繰り返しても辞めずに、必ずレースに戻ってくる彼の超能力が一体何なのか、誰も不思議に思っていました。
しかし、それは超能力でも英国貴族の魔法でもありませんでした。イタリアのベネト州で新しく開発されたプロテクションギアが、サーキットで今まで通り限界に挑めるようにバリーの心を落ち着かせていたのです。
シンプルでも、それなしで時速200キロのレースに参加することなど考えられなくなるようなアイテムでした。
開発が進み、スーツへの内蔵方法、重量、通気性を 最適化するため、様々な進化を遂げました。
現代のテクノロジーにより、街中からサーキットや山道まで、それぞれの使用目的に合った専用の商品を提供できるよう、差別化が可能となっています。