フランコ・ウンチーニ "私と兄の命を救ったヘルメット"
イタリアのチビタノーバ・マルケに生まれたフランコ・ウンチーニは、1982年に500ccクラスを制した世界チャンピオンです。
レースでの勝利や表彰台の他に、彼はもう一つのユニークな功績を残しています。彼は、一般道路上でのヘルメット着用義務化訴訟の中心人物の一人でもありました。
ここでは、そのもう一つの物語を紹介しましょう。
1969年、フランコ・ウンチーニの14歳の誕生日の日、彼は長い交渉の末、父エンニオを説得してスクーター(Giulietta Peripoli)を買ってもらいます。
このときの条件の一つは「常にヘルメットをかぶる」こと。もしこの約束を破れば、1週間バイクは没収されるという条件です。
この約束は、すでに彼の2歳年上の兄ヘンリーにも課せられていたものでした。ヘンリーはこの約束を守り、常にヘルメットを着用していました。
日曜日になると、ウンチーニ一家ではランチのために外出することが多く、レカナティの自宅にいることはあまりありませんでした。
彼や兄ヘンリーにとって、このときの外出はバイクに乗るチャンスでもあります。両親のエンニオとトーニャは先に自動車でレストランへ向かい、現地で息子たちを待ってから一緒にレストランに入ります。
レストランに入ると、ヘルメットを装着した兄弟の姿を見て「宇宙飛行士が来た!」と揶揄する客もいましたが、父エンニオは怒鳴りつけて黙らせるのです。
エンニオの行動は少し攻撃的であったかもしれませんが、自身の子がヘルメットを装備することが正しいことであると信じ、また誇りにすら感じており、このような冷やかしを決して認めませんでした。
ウンチーニ兄弟は、共に負けず嫌いでした。時としてその競争心が良い結果を生まない場合があります。
当時、兄ヘンリーは16歳になり、125ccのMotobi Sport Specialに乗り換えていました。ヘンリーには、キアラヴァッレに住む同い年の友人がいました。
ヘンリーは1969年11月19日に友人宅を訪れます。ヘンリーの友人は当時同じエンジンを搭載したBenelli 125に乗っており、もちろんお互いに自身のバイクの方が高性能だと信じていました。
そして、自然な流れで二人はドラッグレースをすることになります。ヘンリーは友人よりずっと速く、終盤で友人の位置を確認するために振り返りました。
しかし、ヘンリーが直線だと思っていた道路は、直後に90度のコーナーとなっており、気づいたときには美しい別荘の前に設置された、2本の鉄筋コンクリートに支えられたゲートが迫っていたのです。
左鎖骨骨折、右手首の露出複合骨折、左手首と左膝の骨折。ただ、幸いにもヘンリーは一命を取りとめました。
鉄筋コンクリートに直撃したのはバイクでしたが、彼はヘルメットのおかげで命を落とさずに済んだのです。その事故から、ウンチーニ兄弟はヘルメットの着用をより徹底するようになっただけでなく、友人にヘルメットを購入して常に着用することを勧めるようになりました。
フランコ・ウンチーニ自身も16歳になると、125ccのバイクを手に入れました。彼は当時バイクやF1のレースでしか見られないような、フルフェイスのヘルメットが欲しいと思いながら、店頭で購入できないことにもどかしさを感じ、Motociclism誌に広告を出していたAGVに手紙を書いてヘルメットを取り寄せました。
数週間後、彼はフルフェイスのヘルメットを受け取ります。当時フルフェイスのヘルメットは嘲笑の対象にもなったのですが、フランコ・ウンチーニは意にも介さず、格好いいとさえ思っていました。
これは彼が兄ヘンリーの事故から、ヘルメットの重要性を学んだからに他なりません。このように、レースの世界に入る以前から、セーフティに対する意識は非常に高いライダーだったことが伺えます。
もちろん、レースにおいては、ヘルメット着用の重要性は、言うまでもないものでした。フランコ・ウンチーニは、1983年のレース中に大きな事故に遭いましたが、ここでもヘルメットの重要性を再認識することになります。
アッセン・サーキットでの事故は、クラッシュ後、後続バイクがウンチーニのヘルメットに接触するという不運なものでした。
時速130km以上のスピードで頭に衝突してきたバイクの衝撃で、シェルのサイドが粉々になり、ストラップの留め具も破損。ヘルメットは吹き飛び、彼はヘルメットがない状態でアスファルトに叩きつけられました。
5日間の昏睡状態の後、幸いにも回復するに至りましたが、この事故の映像は世界中で流れ、多くの人にヘルメットの重要性を伝えました。
その頃、イタリアではライダーにヘルメット着用を義務付けることが議論されていました。
ウンチーニはスピーカーとしてさまざまな場所を訪れ、イタリアのトークショー「Costanzo Show」にも出演しました。
その放送の直後、遂にヘルメット着用がライダーの義務となったのです。ウンチーニはレースで活躍したチャンピオンであるだけでなく、すべてのライダーの安全に貢献した人物なのです。
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