2020.04.12

Kenny RobertsからKevin Schwantzまで、ニースライダーの誕生秘話

・スライダーは今ではスーツの一部をなすパーツと言えます。サーキットとカーブのシンボルです。
・「キング・ケニー」の愛称で親しまれたKenny Robertsが、1970年代終わりに今まで誰もしなかったほどにバイクを傾ける新しいライディングスタイルを考案しました。
・アスファルト上での数回のスライドから間もなく、バイザーをスーツにテープで貼りつけるというハンドメイド感満載の解決策に結びつきました。
・「istrice(ヤマアラシ)」が本当の意味で初のスライダーモデルとなり、1981年にMotoGPでデビューを果たしました。
・性能を追求して、フォルムと素材の開発が続けられました。
・1990年代を通して実験は継続され、今日のレーシングスライダーが誕生しました。

イタリアではソープバーという愛称を持つニースライダーは、レザースーツに欠かせないパーツです。

サーキットを初めて走行するアマチュアライダーにとって、傷が入ったスライダーは最高の一日を過ごした証拠です。
エキスパートにとっては、パフォーマンスに寄与する数多くのパーツの一つで、当たり前のものでしょう。

そう、当たり前のものなのです。アスファルトやカーブストーンの上にひざをスライドさせるほどライダーがバイクを傾ける姿を見るのが、今では普通になりました。

でも50年前は全く違いました。そんなバンク角は考えられず、ひざがそこまで地面に近づけば、その写真は確実にメジャー週刊誌の表紙を飾りました。

しかし1978年、カリフォルニアのパスポートを持った「キング・ケニー」、本名Kenny RobertsがMotoGPに登場しました。

彼は全く新しいライディングスタイルを披露し、即座にグランプリ用スーツのデザインに革命をもたらしました。

誰よりもバイクを傾けるため、サーキットと接触する第3のポイントが必要だと感じていました。
これがひざを地面についてカーブする習慣の始まりとなりました。そしてたちまち大流行します。誰もが賽は投げられたことを悟り、「キング・ケニー」とブラック&イエローのバイクを真似するようになりました。

新たなニーズ

膝のレザーは十分に耐えうるものではありませんでした。スライドせず、アスファルトとの摩耗にも耐えられません。
替わりとなるものが必要で、中古のバイザーを使う者も現れました。フィットするよう成形してテープでスーツに貼りつけることで、ひざを地面についてスライドさせることが可能となり、ライダーはカーブでもスピードに集中することができました。

これはレース開催中の週末にハンドメイドの解決策を試すことに決めたライダーたちのアイデアで、新たなニーズの存在が明白となりました。

スーツメーカー各社は可能な限りベストなパフォーマンスができるよう、そして新しいライディングスタイルに挑戦できるように、すぐにライダーのサポートに乗り出しました。

そうして初めて初歩的なニースライダーが完成しました。
その後の10年間、改良を重ねて進化を遂げ、現在のフォルムに仕上がりました。

Daineseは1981年、独特な形状にちなんで名付けた「istrice(ヤマアラシ)」を導入しました。
それは、ライダーがひざを曲げると、ベースからプラスチックのシリンダーが多数飛び出すものでした。

しかし、実用性に欠けていることが判明します。

使用後の交換が容易ではありませんでした。「istrice」が組み込まれた当時のスーツは、もう数着しか残っていません。
うち特に目を引く1着は、5回世界チャンピオンとなったToni Mangのもので、現在はイタリアのヴィチェンツァにあるDaineseのアーカイブに保管されています。

性能の追求

数年後に進化の第2ステージが訪れます。フォルムは今日のものに似ていますが、本質は全く異なります。
レザー製で、以前のモデルに比べて硬い楕円形でしたが、アスファルト上を十分にスライドしないという欠点がありました。
しかしマジックテープで取り付けるため、必要時には素早い交換が可能となりました。

3つ目となる次のバージョンは、フォルムは楕円形のまま、プラスチック製に戻ります。
1986年のことでしたが、既に最先端を行っていたものの、まだ最終的なスライダーには至りませんでした。今日のスライダーは、1990年代初めに登場します。

以前のモデルに類似していたものの、形状と縁を改善し、角を取って丸くしたものでした。
モダンなスライダーを内蔵した最初のスーツの中に、1993年からDaineseのライダーで、同年500ccのチャンピオンに輝いたKevin Schwantzのスーツがあります。

実験はまだまだ継続中

Daineseは1990年代の終わりから新世紀初頭にかけて実験を継続して行いました。
最初は2つの複合スライダー、続いて1つで素早く連結とリリースが可能なタイプを考案しました。
最新のソリューションがテストされ、Carl Fogarty、Troy Bayliss、Daijiro Katoクラスのライダーたちがレースへ持ち込みました。

しかしアスファルトを捕らえがちで、望みどおりにスライドするものではなく、思うような役割を果たせませんでした。
そうして、新しいものすべてが革新的とは限らないことを学び、もと来た道を戻ることとなりました。その間も、ライダーのニーズに対応するようスライダーの多様化は進みました。

最も驚異的な例は「レイン」スライダーで、傾斜度が少なくてもアスファルトに接触できるよう厚めに作られていました。続いて、高耐久性素材を使用したスライダーが登場しました。

1978年にカリフォルニア出身のKenny Robertsが出現すると、レーシングスーツのデザインは根本的に変化しました。
ひざをアスファルト上でスライドさせるために特殊なパーツが誕生し、モーターサイクルウェアの革命が始まりました。人体を守るためにスライドさせるというアイデアは、スライダーからスタートし、肩やひざのメタルプレートなどその他の部位にも応用されていきました。

これらのプレートもニースライダー同様に、アスファルト上をスライドすることで、地面に引っかかったり、手足が危険に回転するのを防ぐことができます。エルボースライダーの登場は2010年以降になりますが、1990年代にはすでに250ccクラスのライダーたちが、前腕を危険なほど地面に近づけて走行していたことはあまり知られていません。

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