ダカールのジャケット
1978年、フランス人レーサーThierry Sabineが最高のレースをスタートさせました。それがパリダカール。
エッフェル塔の麓をスタートし、バラ色のレトバ湖の畔にあるセネガルの首都を目指す、ヨーロッパとアフリカを縦断するマラソンです。
まさにオフロードレースのグランプリでした。
スタートラインに立ったのは、舗装されていない砂利道のコースに時速200キロで立ち向かうことができる高度でパワフルなバイクとレジェンドたちでした。
その中にJean Claude Olivierと4気筒のヤマハのプロトタイプのほか、Neveu、Picco、Lalay、Orioli、De Petri、Terruzziの姿や、アフリカツイン、ドゥカティのエンジンを搭載したカジバのバイクもありました。
テクニカルリサーチ
プロテクションへのニーズから、Daineseはこの分野にも20年携わりました。
レースウェアはエンデューロに影響を与え、ラリーレイド専用のウェアが作られ、徐々に専門性の高いハイテクなものへと進化していきました。
最初はファブリックとレザーを組み合わせたジャケットでしたが、丈夫でモダンなファイバーやハードタイプのエルボープロテクターやショルダープロテクターが導入されました。
ほどなくして内蔵型のバックプロテクターがそれに続き、現在ではどんな2輪スポーツにも欠かせないポイントとなっています。
1988年から1996年の間に4回優勝したEdi Orioliのためにデザインされた複数のジャケットには、肩を保護するため、アラミドとカーボンの複合ファイバーなど、非常に洗練された素材が使用されました。
1990年代後半に思いがけないことが起こりました。Orioliとその他ほんの数名のために作られたジャケットに、グランプリのスーツで見られるような背中のハンプが登場したのです。
ここでもハンプは当初、バックプロテクターが届かない頸椎をカバーするというプロテクション機能を果たしていました。次に、空気抵抗係数を改善しようという試みが生まれました。
時速180キロ以上で走行するのが普通なスポーツでは、僅かなスピードの違いがものを言います。
それが1位と2位の差を生むかもしれないのです。
リスクを減らすために快適性を向上
Daineseは、ライダーが行く先で遭遇するであろう気候に合わせて異なるジャケットやパンツを作りました。
レースのスタート区間対策として、加熱式ウェアもデザインしました。真冬のパリを出発し、アフリカに着くとすぐモロッコの高い山脈を横断します。
レース中の気温は、複数の区間で零度近くあるいはそれを下回ることもありました。レースの展開は、氷や雪の手前で踏みとどまってくれるとは限らない天候に左右され、個々のライダーやその装備がいかに寒さに対抗できるかが決定打となりました。
過酷な環境でライダーが全力を発揮できるように、Lino Daineseは何よりもこの点に発想力を注ぎました。
発熱体を織り込んだGore-Texで作られた特殊な防水仕様のジャケットやアンダーグローブ、さらに加熱式のブーツ用インソールがデザインされ、成り行き任せのものは一つもありませんでした。
保温性のジャケットはレーシングジャケットの上に着用することができても、アンダーグローブはそうはいきません。
バイクをコントロールするために最高の感度を保証しなければならないからです。解決策として、発熱体は手のひらではなく手の甲に取り付けられました。
そうしないと、快適性やグリップとの接触に当然影響を及ぼしてしまいます。
また、全システムがポケットに収納されたバッテリーに接続されており、フィラメントに伝わる熱量はシンプルなポテンションメーターで0から10までのレベルに調節可能でした。
Rallye des Pharaonsのように厳しい暑さのもとで開催されるラリーでは、逆に軽量で通気性に優れたウェアが使用されました。
革新的なファブリックを使用し、ジャケットの背中や袖の内側、パンツではひざの後ろなど、考えられる摩耗のリスクが少ないエリアにはメッシュのインサートが施されていました。
目標は常に最高のパフォーマンスを目指し、リスクを最小にとどめることでした。
砂漠から量産型の商品製造へ
パリダカールのパイオニア期に携わったことで、Daineseは新しいテクノロジーを最も過酷で難しい分野に導入し試用することができました。
アフリカで20年以上にわたり築き上げてきたノウハウは今、すべてのライダーにお求めいただける量産型の商品にも適用されています。